思い出の風景

先週、横浜を離れて幼少期から少年期を過ごした群馬県に行ってきました。
今年はあまり遠出していないので久しぶりの旅行気分です。
5月6月と体調不良で、7月はできなかった作業に没頭、それが完成し
めどがついたのでジャケットのイメージ取材兼ねてという感じです。

そこは、夏祭りの最中で遠い懐かしい記憶が走馬灯のように駆け巡りました。
もう会うこともないだろう少年期の記憶を辿るように置いて来たものの多さを
改めて実感しました。
それは、なし得なかった多々の未練、変な抵抗で自滅した自分の愚かさ、
成長することを拒んだ少年の思いが憂いとなって今だに漂っていると言うこと
なのでしょう。


あの時、その時に投げ出したことが夏祭りの喧噪に重なって遥か昔へ誘います。
お囃子と神輿を担ぐ人たちの掛声が混沌と浮遊してループしてる。
そんな中で大人の彼は思いを巡らし「今ここにいる」と言うことを提議してしまいます。
成長という人格形成における過程において矛盾という心の葛藤を。
「今ここにいる」という結果論から導いた答えをもとに、
次元に二つ存在が不可能なのだと。


なし得ないものは、なし得たものよりも大きいかという問題で割れきれるなら、
揺れることはないでしょう。
しかし、それがあっての今があるということも否定できない事実。
「置いてきたもの」は具現化できない象徴でしかない。

わずかな時間でしたが夏祭りの風景に忘れかけていた記憶が蘇ったまでのこと。
そんな思いを詰め込んで横浜に戻って来ました。
また、そんな風景に出会えることを楽しみにして
故郷を訪れてみたいです。
振り返るではなく原点に戻ること。
今の自分には必要なのかもしれないと。